問題と原因と結果

何か問題が起こった場合、その原因を探る。
探り当てた原因を解決すれば、その結果であった問題は存在できなくなる。
因果という観点からも、このアプローチは正しいと考える。

それは、
『何らかの問題を認識』して、
『問題の本質とは何か』ということを考えて、
『本質が指し示す原因は何か』という経路を経て、
『原因の本質とは何か』という考察が為されたあと、
『原因は何がし』という最終的な原因に行き当たる。

こういうステップをひとつひとつ検証することによって、問題の本質と原因の本質を探し当てることが出来て、根本的な解決へ繋がるわけです。

例えば、どこかのステップで間違えを犯したら『原因は何がし』という部分は見当違いなものを指すこととなり、問題が解決されることはない。
それは問題が解決しないことによって何かを見誤った、という認識が得られるので、その場合は最初のステップに戻って再考をすれば、正しい解決が得られます。

では、もし、一番最初のステップに、

『誰かの都合で問題が作られる』

を加えたらどうなるでしょう。

たとえどんなに正確な本質を見つけたとしても後のステップは、すべてが予定調和で進められ、最終的には誰かの都合を満足させるだけです。
そして、本当の問題は、存在すら気付かずにそのままとなる。

我々が日々で抱える問題と語るものは、それは本当に真なる問題だろうか。
本当は誰かの都合による問題ではなかろうか。

その問題とは、誰かがそう言っていたから、という理由だけでそう思ってはいないだろうか。

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