なぜ知識を求めるのか

自分が知り得た知識のみが最高で、そのほかはすべて愚かなことであるという考えは、注意深く考察すると、その考え自体に矛盾が含まれていることに気が付く。

知識は、その時点で完結するものではなく、継続された時間の中でその正確性が強化される。
今が最高ではなく、常に未完成だ。
意識してか無意識か、その根源は別にして、その未完成をできるだけ完成に近づけたいと感じるから、より一層の知識を求める。

その継続は当たり前のサイクルだが、完成したと断じたその瞬間から、継続をやめたその瞬間から劣化が始まる。

知識の種類や継続方法は様々だ。
例えば、宗教なども知識にあてはまるかもしれない。
もちろん、チャネリングメッセージもだ。

知識を求める人々の間でしばしば摩擦が起こる。
平和を願うというような根本的な思想は極めて相似しているのに、それぞれで学んだ知識が唯一無二の真実だとする論争が生まれる。
それは白熱することはあっても終息することはなく、そこに答えなどない。

我々は誰かを負かすために知識を求めているわけではない。
他ならぬ自分を納得させるためだけに知識を求めているはずだ。

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