二元性の調和

いま我々に必要なのは意思疎通を図ることですが、意思疎通のために会話を行うと争いが引き起こされる場合があります。

それは、意識・無意識に関係なく『争い』が人の本質だと語られてきた弊害です。さらに、個人の尊重という観念が歪められ、それの解決方法が、無関心、もしくは排除することであると教え込まれています。

価値観とは、自分の中にあるものです。それは善と言われるものであったり、悪と言われるものであったり。善と悪がブレンドされて、その位置が流動的であったり。固定化されることはありませんが、とにかく価値観は人により様々です。

善は悪が嫌いです。本質的に受け付けられない。悪は善が嫌いです。これも本質的に無理な話です。しかし、善は悪なしではありえず、悪は善なしではありえません。お互いがお互いを補完して、始めて成り立つ観念です。

どのような物事であっても、それを極めれば極めるほど、真実というのは明らかになってきます。方向性に関係なく善だろうと悪だろうと、極めれば真実が見えてきます。

悪を排除すれば、善は成り立ちません。
善を排除すれば、悪は成り立ちません。
善悪は共生しなければなりません。

本質的に違うものが共生を目指す場合、己が信じるものとは違う価値基準が必要です。それに『普遍的な根拠をもととする観念』と呼称を与えます。

『普遍的な根拠をもととする観念』を明らかに並べていくことによって、それを自分自身が理解することによって、気付くのです。

これは一見不可能のように感じますが、善悪の両方を持っている『人』は、すでに自分の中で共生を実現させています。

しかし、両方を持っている人同士は、まだ共生を実現できていません。我々が目指すべき課題はここです。

自分の問題解決方法を分析することにより、つまり内面を見つめることにより、現実という外部問題の解決への糸口が、概念として見つかるかもしれません。

意思疎通は、必ずしも『実際に会う』という行為をしなくても実現できるはずです。

意思疎通は、自分と相手が何らかのルールに従って明確になっていればよいだけです。

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