多数決の注意点

多数派の意見のみが正しいとする手法は、少数派の意見を排除しているだけです。
数が多いというだけの理論で、その語られている中身を考えていないのです。

これが正しい道だという誰かの都合を植え込まれていることに気付かず、本当はそこで一体何が語られているのかという事に気付こうとしないで、ただ一心に信じているだけです。

それが光なのか闇なのかというのは観念でしかありません。
正しいか悪いかというのも観念です。
政治、貨幣といったものも観念です。
それ自体に意志はありません。
ですから、それが闇であると一方的に論じて排除しようとするのは正しくありません。
また同時に、光であると妄信することも正しい道ではありません。
光でもなく闇でもない人の道を見つけねばなりません。

人が作り出すどのような観念も意志は存在しません。
観念はシンボルですから、それ自体に意志はないのです。
意志を作り出しているのは我々です。
それをどう使うかを我々が決めています。

人にとって本当に何が大切なのか、という事を判断する唯一の方法は、その本質がどこにあるのか見定めること以外に方法はないのです。

宇宙のすべての存在は根源的にひとつであるという観念を常に忘れず、礼節と愉快をもって相手と会話をし、本質を見定める努力を続けることが人の道です。

質問の重要性

知識とは感覚の表現です。それは観念の集合体と言い換えても構いません。

絶対的な普遍的表現で書き記すことが重要であるのは間違いないですが、観念という目に見えないものを目に見える言葉であらわすとき、そこには知識提供者の力量という限界が立ちはだかります。
そこを突破する努力を怠る者はいないと考えますが、知識受容者からも歩み寄って頂きたいのです。

例えば、良い香りであるという観念を言葉で伝えるとき、下記のように語ったとする。

『魚を焼いているような、おいしそうな香ばしい匂い』

これをただ漠然ともっと詳細に解説して欲しいとだけ言われた場合、

魚の事、魚を焼いている事、なぜ魚を焼いているのか、おいしいそうという意味、香ばしいとは何か、
といった複数の対象の、どれを解説したものか、欲求の意図するところがわからないのです。
これは、それぞれが独立した観念の集まりですが、上記のような組み合わせが最良と考えて表現しています。
それを個別に分解して、それぞれ別の説明を加えていってもよいのですが、実のところ上記の組み合わせがよくわかるだろう、と考えて表現しているので、他に言い換える基準が不明なのです。
例えば、それを肉や木の実にした方がよいか、花と甘さを絡めて組み替えたほうがわかりやすいのか、といったことです。
そこを無視して手当たり次第、説明を加えていくと、無駄な言い回しで同じ事を語らねばなりません。
同じことを違う形で表現しすぎると、それは混乱のもとになり、主題がぼやけます。
良い香りであるという観念を大幅に歪んだ形で伝えかねない。

ですから、疑問という形で、どこがどのようにわからないかというポイントと疑問者がどのように解釈したかを把握することによって、そこに対して無駄なく新たな説明が加えることができ、歪みを最小限に抑えられるわけです。

自己表現の重要性

例えば文章ならば、なるべく簡潔に記載することがのが望ましいですが、多少の長さを回避するよりも、自分の感覚を表現することの方が重要です

論の根拠として他人の表現ばかりを引用をすると、伝達内容に2つのフィルターを通すので伝達内容が意図しない歪みを生みます。

a)自分の思い b)根拠として他人の文章引用 c)相手が解釈 と処理されるとしたら、
a->bで行った解釈と、b->cへの解釈で、伝えたい意味が歪みます。
引用を根拠の主体としてしまうと、ほぼ100%歪みます。

例えば、

「楽しかった!」

という言葉から、本当に楽しくて強調している場合と、楽しくなかったので嫌味で言ってる場合と、
二つの用法がありますが、要は前後の文脈等をどう解釈するかによって意味が異なってくるはずです。

会話の心構え

(1)意見に関する事実と根拠を語り誤解を生む可能性を低減

なぜその意見に至ったのかというのを誤解なく伝えるためには因果を説明する以外に方法を知りません。
僕が感じた主観だけ書いてしまうと感性の違う人にとっては根拠なき誹謗中傷になりかねません。
そこに至った経緯を、事実・根拠を併記することによって想像の領域を少なくし解釈の普遍化を目指しています。

(2)相手が自分の鏡であることの実践

思い違いやすれ違いというのは誰もが経験する出来事で、異なる意識が交わるときにこれを防ぐ手段はありません。
理解が出来ない状況が発生することを回避できませんが、理解への糸口を探す事は可能だと考えています。
それは、その異なる意識と会話することがひとつの方法だと考えています。会話するにあたって(1)に気をつけています。
そうすることによって、思い違いやすれ違いの原因となったものが取り除かれていきお互いを尊重して分かり合えると信じています。

(3)広く意見を聞くことによって実りある意識の成長を図りたい

場を共有する皆さんと対話を行うことで意識向上が図れると考えています。
そのため(1)や(2)に気を付けて引用や例えを多用してなるべく簡潔になるよう心がけています。